「麦100%ビール ドイツ探究の旅10日間」帰国報告

ケルン巡礼にご報謝を

ビアテイスター  谷 保廣
   



 参加者のおおよそが異口同音に感嘆したごとく、今回のドイツ周遊はビール道を究めるための「西国三十三所」修行の旅であった。朝にアロマを楽しみ、昼にフレーバーを讃し、夕にホップとモルトを尋ね、そして夜に眠らず、また朝を迎える。酩酊も宿酔も千鳥足も突き抜けたその向う側に、私たちビアテイスターが到るべき桃源郷があるという趣向であった。
 ケルンも然り。当地で半日の自由行動を得た私たち同行は、小田会長を先頭に、田村先生・中山女史も加わり、一杯でも多くのケルシュをとクナイペ(居酒屋)巡礼に繰り出した。斥候役のポール・ヘアリング氏がドイツ語で御詠歌を吟じていたかに思われたが、はてあれは幻聴か。
 
一番札所:Fruh am Dom
 第二次大戦中、ケルンは都合262回もの空爆に見舞われ、敗戦時には大聖堂以外に目ぼしい建物の影もないという惨状であった。当時のケルン醸造所の苦難の物語は、フリューにおいて止めを刺すだろう。1904年にピーター・ヨーゼフ・フリューによって設立された醸造所は、1942年の通称「千発爆撃」で焼失。不屈のドイツ魂でたちまち再建を果すも、さらに二度の空襲に傷つき、ついには1945年英国進駐軍によって焼き払われてしまった(が皮肉なことに、この憎き英国軍が戦後のケルンのビール産業復興を助けた。すなわちビールを愛飲するイギリス兵士が、醸造設備の収用や、業者による原料の密かな輸送に多少の配慮を示したのである)。
 さて、運ばれてきた当店のケルシュは、絹のようなすべらかな口当りで、すっきりとはしながらも、トロッとしたモルトの甘みと、ほのかなホップの苦みが配合の妙をみせる。後味にフルーティーな名残を留めた。小田会長が至福の面持ちでシュタンゲン(細長い円筒状のケルシュ用グラス)をテーブルに置き、「私はただこの一杯のためにこの地へやって来た」。

二番札所:Gaffel Haus
 ビール醸造所としての淵源は1302年まで遡るという。1908年に現在の所有者ベッカー家に経営権が移る。建物は、かつてリンゴを商う露店が並んだ青空市場に面していたことから、「リンゴ市場沿い」の一語を添えて呼び慣わされていた。
 ここのケルシュは、モルトの穏やかな甘みに対して、ホップの苦みが明確で切れがよい。リンゴというよりは、梨のフレーバーがかすかに感じ取られた。

三番札所:Paffgen
 1883年にヘルマン・ペッフゲンによって開設された当店は、いまなおケルシュを銅釜で仕込み、無蓋槽で発酵させ、人手で木樽に充填し、ドラフトでのみ客に振舞う、ケルンで最も規模の小さい醸造所である。
 私たちはたまたま不具合なロットに当ってしまったようだ。次の機会に改めて訪問してみたい。

四番札所:Sunner
 ケルンではケルシュの本家争いはご法度である。ケルシュ醸造業者の盟約である〈ケルシュ協定〉によれば、その加盟者は製品に「元祖」「真正」「特上」のごとき銘柄表示をしてはならない。しかしながら、もしこれが持ち上がるとすれば、勝ちを制するのはここズンナーに違いない。なぜか。
 ケルシュという言葉が今日のようにひとつのビア・スタイルとして用いられたのは、1918年のことである。対して、クリスチャン・ズンナーがツム・シフゲン醸造所を買収して、当社を設立したのが1846年。すでに1906年には、「ケル
シュ」の商標で上面発酵・低温熟成のビールを販売していたからである。
 クランツ(ケルシュ用配膳トレイの代表格。蓮根の輪切りに似た盆で、8から10個の穴にシュタンゲンが車座に納まる)に代えて、当店のケルシュは、11個のシュタンゲンが長大歯ブラシに真一文字に並ぶ木具に乗って現われた。モルトの甘みが蜂蜜を連想させる。わずかにフルーティーなフレーバー。ホップの苦みは控え目であった。

五番札所:Sion
 「決められた時に、決められた場所でだけ」。食の世界でこの条件が満たされたとき、たとえば中国人はこれを口福と称する。ここドイツでは、シュパーゲルと呼ばれる白いアスパラガスが四月中旬から春の先触れとして市場に出回り、そして6月24日の聖ヨハネの祝日を楽日に、旅路を急ぐ巡業劇団さながら姿を消してしまう。当店での収穫は、秀逸なケルシュとともに、塩茹でした新鮮なシュパーゲルを堪能できたことであった。

六番札所:Malzmuhle
 ケルンの醸造業者の多くはかつて、自社用のみならず販売の目的をももっ
て、モルトを製造していた。実際、1572年から1853年にかけて、ライン川にほど近い市の中心街ホイマルクトには公営のモルト製造所が置かれていた。6番目のクナイペ、マルツミューレ(=モルト製造所)はその名のとおりこの場所にあった。
 当所が初めて文献に登場するのは1165年。世界最古のビール醸造所ヴァイエンシュテファンの創設1040年と比して、さして遜色はない。フーベルト・コッホが今に至る醸造所としてここで起業したのは1858年のことである。7店中最も強いホップの苦みの背後に、マイケル・ジャクソン氏のいう「マシュマロを思わせる」甘さが潜んでいた。

七番札所:Gilden Haus
 ケルシュの系図をたどってゆくと、18世紀から19世紀初頭にかけてケルシ
ュ・ヴィース(Kolsh wiess:白いケルシュ)と呼ばれるスタイルがケルンで広く飲まれていたことを知る。古い文献によれば、このスタイルは初期比重が8から9プラート、黄金色で、十分にホップが効かされていた。では、当代のケルシュとの決定的な相違点は? 未濾過であること。
 「ギルドの館」なる、いかにもドイツ・ビールの商工業者といった当店で、私たちはケルシュに加えて、このヴィースを味わうことができた。

 さて、ここで時間切れである。残る十三所は他日のケルン遍路に譲ろう。私たち一行は、ビールの観世音菩薩ガンブリヌスに感謝を捧げながら、当地を後にした。彼こそ他ならぬ、1288年に欲深い時のケルン大司教からビール醸造権を奪取し、これをケルンの醸造業者たちに授けたブラバント公国君主ヤン・プリマスその人である。


参考文献
 エリック・ワーナー著『ケルシュ』
 マイケル・ジャクソン著、小田良司訳『ビア・コンパニオン』

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