ビールエッセイ10連発 (日本地ビール協会会長 小田良司)


●エビ(読売新聞 関西版夕刊 2/1掲載)

 名称が名称なので間違われても仕方がないが、日本地ビール協会は地ビール会社の団体ではない。ビアテイスターというビールの専門家の団体である。よくビールのソムリエなどと紹介されている資格である。

 告白すると、協会を立ち上げようと決心した時、僕はビールについては素人だった。素人では困るので、必死で勉強した。日本にはビールを学ぶ場がなかったからアメリカに飛んだ。いろいろな方から教えを受けたが、最も多くを学んだのはシカゴにあるシーベル醸造学研究所のエルサ・シェラトン副所長からである。「専門的にビールを学ばなければ、ビールの評価は絶対にできない」と、彼女はよく僕に言ったものだ。

 ある時、ソムリエではないけれどワインの専門家として著名な人がビールの講演をするというので出かけていった。彼はベルギーのトラピスト修道院のビールを口に含み、美しい言葉でその魅力を表現した。そして、続けた。「このビールはエビ料理に素晴らしく合います。だから、専用のコースターにはエビの絵が描かれています」。僕は、ワインの専門家を育成しているプロならではの発言だと感心し、エビは嫌いだけれど、試してみようと思った。

 しかし、コースターにまでエビが描かれているのに、僕はそんなことも忘れてしまったのだろうか。少々情けない気持ちになって見直してみた。そして驚いた。コースターには、修道院建立にまつわる伝説のマスが描かれていたからだ。その歴史を知らなければ、確かにエビに見えないこともない。

 もし、これはマスだと彼に言ったなら、彼は今度は「コースターにあるようにマス料理に合います」と言うのだろうか。ちょっと知りたい。
 


●マイケル・ジャクソン(読売新聞 関西版夕刊 2/3掲載)

 ビールを仕事にする最も有名な人は誰かといったら、マイケル・ジャクソン氏である。歌って踊るあの彼とは別人。英国在住のビール評論家だ。1970年代から世界中の地ビールを飲み歩き、その魅力を世界に伝えてきた男である。彼に会って、僕はぜひとも代表作である『ビア・コンパニオン』を翻訳したいと思った。彼も僕の申し出をとても喜んでくれて、契約成立。

 僕はせっかちなので半年で出版すると自分でゴールを設定し、早くビールファンに喜んでほしくて、協会発行ということで予約まで取り付けてしまった。彼ほどビールを知る人はいない。その著書を日本語にするのは、予想の百倍も大変だった。何しろ対応する言葉が、まだ日本語として存在しなかったりするのだから。同じところばかり見ているうちに、僕は実は何かに化かされていて、一生この翻訳をし続けるはめになるんじゃないかという気がしたものだ。

 結局、『ビア・コンパニオン日本語版』の発行は1年半も遅れ、昨年の十月になってしまった。協会のスタッフはその間、予約してくれた人たちに謝ってばかり。だから完成本を手にした時の感激はひとしおだった。ホームページにもPRを載せた。

 ある日、僕が電話をとると、「ホームページでマイケル・ジャクソンのビールの本が翻訳されたと見ましたが、それは事実ですかっ」と興奮した口調。うちのHPを見てくれるぐらいのビール好きである。そんなに喜んでくれたのかと、「ええ、本当です」と愛想よく応じたら、「本当にあのマイケル・ジャクソンですか」と畳みかけてくる。少々不安になった。「ええ。あのマイケル・ジャクソンです。ビール評論家の」。答えたとたん、電話が切れた。


●ビター(読売新聞 関西版夕刊 2/4掲載)
 僕は実はヨットのレーサーでもある。1989年、アドミラルズ・カップ・チャネルレースという世界的な大会で優勝した時は、最高に気持ちよかった。そして、日本代表として英国南部のワイト島にあるカウズ城に招待された。

 カウズ城というのは、英国王室の所有の城である。招待客はたった10数名なのに、レセプション会場は100坪以上もあった。慇懃に飲み物を尋ねられる。ビールを頼む雰囲気ではないようにも思ったけれど、僕は緊張していて、好きなビールで少しリラックスしたかった。「ア・パイント・オブ・ビター・プリーズ」とイギリスのビール「ビター」を頼む。グラスを受け取り、ぐいっとひと口。振り向いたら、ひとりの男がニッコリと実に親しげな笑顔を向けてくれていた。ロイヤル・オーシャン・レーシングクラブの会長で、彼は貴族だった。それまで言葉を交わしたことはない。僕が笑みを返すと、彼は右手を持ち上げた。その手には僕と同じビールがあった。ビターはイギリス人の誇りだ。その場でビターを飲んでいたのは、彼と僕だけだった。

 2年後、同大会の一レースで再び優勝した僕は、エドワード皇子が主催するパーティに招待された。記念に写真を撮りたいと思ったけれど、カメラの持ち込みは禁止されていた。

 けれど、今、リビングルームには皇子と談笑する僕の写真がある。知らないうちに、あの会長が知り合いに頼んで撮ってくれたものだ。それほど親しくなったわけではない。彼はきっと忘れていなかったのだ。2年前、僕がビターを飲んでいたことを。「イギリスが生んだ偉大なビターを愛してくれてありがとう。これはそのお礼だよ」。この写真からは、そんな彼の声がする。


●缶ビール(読売新聞 関西版夕刊 2/8掲載)

 仕事がら「どのビールが一番美味しいですか」と聞かれることがある。この質問はとても難しい。

 1989年、ハワイで開催されたケン・ウッド・カップという世界4大ヨットレースのひとつで日本チームが優勝した。3杯で1チームなのだが、そのひとつは僕の船だった。

 船には最小限の食糧が積んである。それでもゴールが確実となった時点で、船を軽くするために魚が食べられるものは捨てるのが僕のやり方だった。特にその時には、途中の事故で舵が半分折れたから、クラッカー1枚でも余分に捨てたかった。

 迷ったのは、ほんの2、3缶だけ積んでいたビールである。ゴールまであと半日。8月のハワイだ。ひと缶だけ飲みたかった。船は一グラムでも軽い方が当然速く走る。ましてや半死半生の船。1秒でも速く着いた方がいいに決まっている。さらに僕は船のキャプテンとして、最後に舵を握る仕事も残っていた。その時ほどビールを飲みたかった時はなかったけれど、その時ほどビールを捨てなければならない時もなかった。クラッカーと共にビールは魚にくれてやった。

 そして、勝った。

 ゴールで補欠のクルーたちがサポートボートに乗って出迎えてくれた。勝利の美酒を抱えた男たちがこちらに着船しようとする。ところが、こちらは興奮のあまり、舵が折れているのを瞬間忘れてしまい、操作を誤って、ボートから離れてしまった。笑い声が上がる。「オーナー、やりましたね」、ボートのクルーが缶ビールを僕に放り投げた。

 勝利を信じて、今の今まで冷やしてくれていたビールだった。あの時ほどビールを美味いと思ったことはない。
 


●アルト(読売新聞 関西版夕刊 2/9掲載)

 日本に地ビールが誕生するはるか以前の1979年、当時の仕事で初めてドイツのデュッセルドルフに行った。今は日本でもよく「アルト」という赤みを帯びたビールを見かけるが、それはデュッセルドルフで生まれ育まれたビールだ。

 土地の人にビアホールに連れていかれたが、椅子も少なく、立つ場所を確保するのも大変なほどの混みようである。屈強な体つきの男がお盆にビールを20杯以上ものせて闊歩している。周りを真似て、彼のお盆からグラスを取ると、男は無言のまま僕のコースターに鉛筆で1本線を引いていった。なんて店だと思いながらビールを飲んだ時、あまりの美味さに目が覚めるような思いがした。

 ビールを仕事にした頃、再びかの地を訪ねた時、ビールを飲むまで、そこがあの店だとは分からなかった。実は世界的にも有名なアルトの老舗だったのだ。ホップの香りと苦み、モルトのカラメル香と旨み。「ああ、この美味さだ」と、強い感動と当時の記憶がよみがえってきた。

 3度目は昨年末。日本に帰ったら、すぐ協会の忘年会があったので、お土産に5リットルのタルを買った。ずっしり重い。僕はその晩、タルを抱えて町中のアルトの美味い店巡りしたものだから、すっかり腕がしびれてしまった。翌日はロンドン。ホテルではタルを冷蔵庫に保管してもらい、タクシーの中では振動を与えてはいけないと腕で支えた。ああ、みんな、どんなに喜ぶだろう・・・。

 ところが2日後、帰途につくヒースロー空港で、バージン航空のブロンド美女は言った。「爆発する恐れがありますので、これはお持ち帰りになれません」。腕をジンジンさせながら、僕は心の中で一生バージン航空には乗らないぞと毒づいた。


●ビールの長所(読売新聞 関西版夕刊 2/10掲載)

 歌も踊りもおそらく苦手だろうが、ビール評論家のマイケル・ジャクソン氏は、ビールにかけては世界一だ。

 我が家で彼と飲んでいた時、日本の地ビールもいくつかテイスティングした。ところが開けてみると、これが強烈な匂い。専門用語でいえば、ダイアセチルという甘いバターのような匂いだった。僕はがっかりして「ダイアセチルが強すぎますね」と言った。すると、彼はちらりと目線を上げて、おもむろにビールをすすり、「きれいな色です」と言う。聞こえなかったのだろうか。僕は表現を変えた。「微生物に汚染されている可能性が高いですね」。すると「ボディもあります」。

 やっと僕は思いだした。彼は著書の中で、どのビールも批判したりはしていない。ビールを勉強していくと、どんどん欠点が見えるようになる。見えれば、つい指摘したくなるものだ。彼ほどの人が欠点に気づかないわけがない。彼は長所を見つけだす努力を怠らない人なのだ。僕は改めて言った。「そうですね。色がきれいだし、ボディもいいですね」。彼はまた黙ってビールを飲んだ。

 ビールを勉強して不幸になったと思っていた。美味いと思う回数が激減してしまったからだ。しかし、彼と出会い、彼の著書『ビア・コンパニオン』を翻訳しているうちに考え直した。美味いビールは必ずつくられているし、ビールの長所は自分で発見していくものだと。それには知識のほかに努力と忍耐が必要だ。僕は今その努力と忍耐を身につけようとしている最中。

 マイケル・ジャクソン氏がその才能と努力でハンティングした美味いビールの話は、当会発行の『ビア・コンパニオン日本語版』でお読みいただければ幸甚です。


●イギリスのパブ(読売新聞 関西版夕刊 2/15掲載)

  「協会を設立した理由は」とよく質問を受ける。地ビールの普及と振興のためと答えると、次には「なぜ地ビールを普及させたいのか」。実は僕にもよく分からない。けれど、1965年に留学した経験がなかったら、きっと地ビールに関わることはなかっただろう。

 留学先はロンドンの田舎で、僕は毎晩8時か9時頃になるとパブに出かけた。徒歩圏にパブが3軒あり、それぞれ2分、5分、10分かかる。ビールは遠い順に美味かった。

 今でもそうだが、イギリスのパブで飲むビールはとてもぬるい。しかも、ほとんど炭酸が感じられない。初めて飲んだ外国人は「気が抜けたぬるいビールを出された」と腹を立てたりするけれど、慣れると本当に美味しい。優しい味わいで、お茶がわりに飲めるので、ランチタイムや夜の早い時間はビジネスマンも多い。パブは社交の場なのである。

 徒歩10分のパブの親父は、閉店の11時になると決まって「ウオウオーッ」と大声を上げる。毎日叫ぶので不思議に思って尋ねてみたら、「ボトム・アップ・プリーズ」と言っているんだと聞いて笑ってしまった。「底を上げてくれ」。グラスを空にしろという英語独特の表現なのだろう。

 地ビール解禁の話が出始めた時、僕はとても興奮した。パブのことなど忘れていたけれど、なぜか僕は「日本中にたくさん地ビールができればいい」と強く強く思ったのだ。

 今、日本では約260カ所で地ビールがつくられていて、飲みに行くのが追いつかないほどだ。美味いビールがあると、僕はつい長っ尻になって、いつまででも飲んでしまう。誰か「ボトム・アップ・プリーズ」と叫んでくれれば、すぐに席を立てるんだけどなあ。


●立って飲む(読売新聞 関西版夕刊 2/16掲載)

  僕がヨットレースに夢中になっていた頃、「酔っぱらいジョージ」というあだ名を持つクルーがいた。出身地であるニュージーランドのビール「スタインラガー」しか飲まないのだが、レース後はいつも酔っぱらっている。

 イギリスやドイツのビールの店では立ったまま飲む人が圧倒的に多いが、少しは椅子も置いてある。けれど、彼はどんなに酔っても座らない。「立っていられるということは俺は酔っていない。だから、もっと飲んでもいいのだ」ということらしい。周りから見ると明らかに酔っているし、危なっかしいから座ればいいのにと思うのだが、絶対に立って飲む。

 ところで、今年の夏、東京のホテルオークラで「ジャパン・ビア・フェスティバル」というイベントを開催した。できるだけ数多くの種類をビールファンに試して欲しかったので、グラスに注ぐのは1回60ミリリットルずつにし、何度でも何種類でも飲んでOKという方式をとった。地ビール会社48社と輸入会社4社の出展があったので、もし全種類飲める人がいたとしたら、約150種のビールが試飲できた勘定になる。

 好評だったので、毎年10月に大阪で共催している世界のビール祭り「インターナショナル・ビール・サミット」も今年からこの方式に変えた。どちらも椅子の数は最小限にした。

 でも、やっぱり皆さん椅子が欲しいらしい。東京では大広間の絨毯に、大阪の会場は屋外だったので花壇の植え込みに、真っ赤な顔してべったり座っている方がかなりいた。洗面所で寝ている強者もいて驚いた。楽しんでもらえたことはうれしかったけれど、これは見ていてちょっと格好悪い。僕は、酔っぱらいジョージのことを懐かしく思い出していた。


●おわび(読売新聞 関西版夕刊 2/17掲載)

  新聞のチカラというのはすごいなあ、と僕は改めて驚いた。数日前のこの欄で、僕が訳したビールの本「ビア・コンパニオン日本語版」のことを書いたら、「タイトルだけ宣伝しといて、内容も買い方も全然分からん」とお叱りを受けてしまった。すみません。A5判変形288ページという本の内容をひと口で説明するのは無謀なので、ほんのひとこと。

 ビールの本場はどこかと質問されたら大抵の方が「ドイツ」と答えるだろう。けれど、イギリスもある特定のビールの本場だし、ベルギーもフランスもオーストラリアも同じくある特定のビールの本場だ。それぞれの土地の風土や歴史が、その土地ならではのビールを誕生させ、育んできたのである。世界には70もビールの種類がある。いつも飲んでいるあの黄金色のビールは、そのうちのひとつにしか過ぎない。

 世の中には、黒ビールに生ガキを入れたオイスタービール、仕込釜に焼いた石を入れてつくったストーンビール、ミルクを入れた健康増進ビールなんてものをつくった人たちもいる。僕にビールの話をさせたら止まらないけれど、実はネタの何分の一かは、この本で仕入れた知識だ。

 著者のマイケル・ジャクソンはイギリスのビール評論家で、いつも世界中を駆け回ってビールを飲んでいる。何度も来日しているし、この本には日本の地ビールも登場する。

 世界には多種多様のビールがあるのだから、特定のビールばかり飲んでいるのは損というもの。もっと自分好みのビールがあるかもしれない。

 というわけで「ビア・コンパニオン日本語版」でビール探しをしたくなった方は、どうぞ当会までお電話ください。電話番号は0797−31−6911です。


●ビール・サミット(読売新聞 関西版夕刊 2/18掲載)

 1996年の5月から、在阪の各国総領事館と共同で世界のビールと日本の地ビールの広報活動のために「インターナショナル・ビール・サミット大阪」を開催しています。

 これはそもそもはドイツ総領事館とつきあいのあるビール好きの報道関係者のネーミングになるもので、彼らは各国の外交官をレストランに招いてお国自慢のビールを持ち寄ってもらおうぐらいに思っていたのが、いろいろな人が準備会に参加するうちあれよあれよと構想が大きくなっていったものである。

 海遊館の映画館での第1回シンポと試飲会に約400人の人が来てくださり、梅田スカイビルに所を変えた半年後の秋の2回目サミットには1万人、一昨年は2万人、そして昨年の4回サミットには3万人を数えるようになった。毎年10月に行うのは「食欲の秋、収穫の秋」という表向きの理由からだけではなく、大阪21世紀協会主催の「御堂筋パレード」参加のため来日している各国のダンシングチームにサミットに特別参加してもらえるというのが実行委員会の本音らしい。まさに「酒、音楽、食」と三拍子そろった国際イベントで、こんなに華やかで、しかも広告代理店やイベント会社を使わない手作りのノン・プロフィットな行事は他にないでしょう。

 普段、ホテルや町のバーで高い高い輸入ビールをちびちび舐めるように飲んでいる外国人学生、英会話の先生たちもサミットではがんがん、財布を気にせず飲んでいます。昨年も来場者の約3割は目の色、髪の毛の違う人たちで、関西中の外人が集まってきたのではないかと思うほどでした。本当にビールは世界で最も人気のある飲み物で、まさに「地球の飲み物」だと思います。今年は10月9〜11日開催予定です。


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